このごろとつぜんに気になっている。
ゲイとして暮らし、同性に恋する人生を生きる人のこと。
バイセクシャルの人間は周りにぽつぽついたけれど、ゲイの友達はあまりいない。
昔に洋服屋さんの店員さんに誘われてレズビアンナイトに一度だけ行ったことがあるくらい。
年がどんくらい離れているとか、性別がどっちだとか、結婚してるとかしてないとか、恋に関して言えば、どれも同じくらい近い場所にあるものだと思う。思うけれど、実際にその距離はそれぞれがそれぞれの立ち位置によって違うのも本当。端的に言えば、お互いの条件(あえて好みではなく)がお互いにできるだけ合えば、恋の確率は上がるもの。合わなければ、やっぱりすこし遠くなってしまうような気がする。
で、ゲイとして暮らし、恋する相手が必ずノン気の人というのもいるんだろうなと思い至ったわけである。これは、ほかの様々な条件のパターンと比べて、最も恋の確率がちいさくなってしまう。もちろん、誰だって恋人が欲しいのだから、時にはその条件をぐっと堪えてゲイの恋人を持つようにするのだろうけれど。でも、それでも、やっぱりどうしても、絶対にこっちを向いてくれないと分かっていても、片思いしちゃう人もいるんだろうな。その忍耐とはどのようなものなのだろうか、どんなことをいつも考えているんだろうか、恋の話として聞いてみたい衝動にかられている。聞く相手がそばにいないので、もやもやと頭の中で考えているのだけど。
そしたら、自分のことじゃないのに、どんどんわたしがもやもやしちゃって、胸が苦しい。もぉーどうしてくれんのよーとか思いながら、風邪も治らず。
なんだかなーの1月もまんなか。
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